京都観世会1月例会 2

(承前)まず最初の演目「翁」の始まり方の神秘さに引き込まれた。面をつけていない片山九郎右衛門さんが中心だということはひと目でわかるのだが、舞台上の人たちの多さに圧倒されるとともに、その進行の仕方が普段見慣れている能ではなく、「これは何?」という疑問が沸沸と湧いてくる。やがて、これは京都の観世流という「秘密結社」のつながりの強さを再確認するための「秘儀」のように見えてきた。チラシの演目解説には「数ある曲の中で別格とされる『翁』は、能が芸能として整う以前の祖型であり、新年を言祝ぐに最も相応しい神事である。舞台に第一に登場するのは神体の翁面を運ぶ面箱持、それから直面の翁大夫、千歳、三番三、以下諸役が続く」とあり、翁を観ることによって、これまで能がたんなる古典芸能ではないことを全身で感じていたワケを納得することができた。

私が能を観たいと思う気持ちの一つに、能が「この世とあの世」および「過去と現在」を融合させた舞台となっていることになんの違和感も不思議さも感じさせない時空を楽しませてくれるということがあるが、「翁」はまさにその集大成のような印象を受けた。これ以上の説明は、「翁」でググってください。

「翁」の進行・終了の流れで去る演者と残る演者が交差しつつ、次の「鶴亀」に続いた。開始早々、そこに福王和幸さんの姿を「発見」して私の心臓は高鳴った。ずいぶん前のこと、今となってはどの会のなんという能だったか思い出せないが、初めて福王和幸さんの姿を見て、「なんと美しい座り方か」と感動したのだった。それ以降、お父さんと弟さんの姿は拝見できたのに、福王和幸さんと再会することは叶わなかった。おまけに今日は真正面からその美しい姿を拝見することができているのだ。なんという幸せ!

しかし、これは怪我の功名だった。観世会館に着いたのが開演少し前だったので、1階はほぼ満席、2階も正面はほぼ満席ということで、誰も座っていなかった脇正面に座ることにした。脇正面はつまりワキの正面だから、福王和幸さんを正面から拝見することができたのだ。シテの大江又三郎さんの低音の響く声も素晴らしかったが、私は一瞬たりとも眠ることなく福王和幸さんの座る姿を見続けた。本当に、微動だにしない。

シテの退場に続いて退場する際、福王和幸さんの隣に座っていた演者が立ち上がりがたくなってしまったのを、横から右手一本で介助しながら自分自身も立ち上がる際の身のこなしの美しさにも感動した。右手以外は、何事もないかのような自然の姿だった。私にとっては今日一番の見どころだった。

と、ここまで書いたところで日を跨ぎそうなので、今夜はここまで。