緊急事態宣言の怪

今年最初のブログをこのようなテーマで書き始めなければならないのは、実に情けない話としか言いようがない。

もしも本当に緊急事態だから宣言を発出するというなら、今朝の新聞の見出しのように「7日にも決定」とあるのは悠長すぎないか。2日も猶予があるのだという印象を与えてしまったら、「より強いメッセージを発出することが必要だと判断した」という首相の発言は額面通り受け入れられないだろう。「コンサートやスポーツなどのイベントの全面的な開催制限は求めない」や「共通テスト実施、休校要請せず」からも切迫感は感じられない。

国民に強く訴えるべきは、今の時点でそのように判断するのはどのようなエビデンスに基づいているのか、ということであり、今回の緊急事態宣言によってどのような効果が期待できてそれによって近い将来のどの時点で宣言を解除することができると想定しているのか、という具体的な根拠だろう。これらについてなんら根拠も示さないまま「首相、4都県に1ヶ月想定」と新聞で報じられても、普段から「仮定の質問には答えない」と言っている首相のこと、今回の緊急事態宣言も「ありうべき仮定のもとに書かれたシナリオに基づいて緊急事態宣言を発出する」とはとても思えなくて、ただただ4人の知事に押し切られたというメッセージを国民に発出しているという印象。(この「発出」という言葉も耳に馴染まないが、あえて使っている)

だいたい、地震や台風といった災害の場合には防災服を着て閣議を開く模様を報道させているのに、新型コロナウイルスに関しては一度もそのような映像を見たことがない。それどころか、首相は毎晩のように情報交換と称する外食の様子がTVで報じられて、4人以上の外食は控えるようにとの官房長官や経済再生大臣の言うことは別に守らなくてもいいんだというメッセージになってしまう始末。そのような首相の行動の是非に対するマスコミからの質問に対して、官房長官や経済再生大臣が「4人以上は目安に過ぎない」と首相の行動を臆面もなく肯定するコメントを出すのを聞くと、去年のいつだったか、新型コロナに感染したかどうかを保健所に電話して調べてもらう基準としての「37度5分の発熱」について、「それは目安に過ぎない」と言い放った現官房長官の「国民を小馬鹿にした表情」を思い出してしまうのは私一人ではあるまい。

しかし、今回の緊急事態宣言によって経済的に厳しい状況に陥る人たちがたくさん出ることも想定されている。首相が胸を張って「自助・共助・公助」と言い放ったこの言葉を、実は先日町内で配布された『災害避難マニュアル』で見た。しかし、その文書の「自助・共助・公助」は納得できるものだった。もしも災害に見舞われた場合には、「自分の命はまず自分で守り、近所のお年寄りや体の具合の悪い人たちをみんなで守り、帰る場所のなくなった人たちを地方自治体や国が助ける」ことが「自助・共助・公助」の意味だったのだ。しかし、「外食はやめましょう」と国が言うことによって収入の道をたたれる人たちに向かって「自助・共助・公助」と言うことがどれだけ情け容赦のない言葉掛けなのかを理解できない首相は、とても一国のリーダーとは呼べないであろう。

今から80年近く前、「おかしいな」と感じていた国民もいたはずなのに、日本軍の連戦連勝だという大本営発表を疑うことを許されないまま、それとは真っ向矛盾する「竹槍での本土決戦」の寸前まで追い込まれた大日本帝国臣民の悲劇がこの21世紀になって再現するのではないかと思わせる、なんとも言えない気味悪さを感じ始めた仕事始めの日であった。