アメリカの大統領選挙

4年前のアメリカの大統領選挙の開票日に、家内と私は新幹線で東京に向かっていた。開票についての第一報は、まさかの「トランプ氏がリードしている」とのこと。「でも、まさかクリントン氏に勝つことはないよね」と言いながらホテルに着いてテレビを見たら、その「まさか」が生じそうなムード。そして本当にトランプ大統領が誕生した。その後トランプ大統領のリーダーシップのもと様々な出来事が起こったが、それらについてはもう過ぎてしまったことで今更ここに書く気にならない。ただ、彼はビジネスマンだから彼のツイッターで乱高下するNY株式市場で一儲けを企んでいるのではないか、という疑いは拭いきれていない。

今回の大統領選挙の開票前日に、家内と私は新幹線で東京からの帰途についており、マスコミの予想は「最後まで接戦が続くだろう」とのことだった。そして今日、この原稿を書いている時点(15時)では、トランプ大統領もバイデン候補もいずれも敗北宣言をしておらず、当選者が確定するまでまだ時間がかかると報道されている。バイデン候補は郵便投票が開票されると自分に有利な状況になると考えていることを暗示するスピーチをしたが、「レッドミラージュ」の現実化を恐れるトランプ陣営は郵便投票の差止請求や再集計を要求している。ま、トランプ大統領の再選はないだろうと思うけれども、このような接戦が生じるほどアメリカ国民はアメリカを「世界のリーダー」だとは思わなくなっているのだとしたら、民主主義の落ちぶれようは深刻である。(『グッドファイト』の反トランプキャンペーンですら功を奏さなかった・・・)

さらに、日本。この原稿は「NHKプラス」の参議院予算委員会の音声を聞きながら書いているが、たまに画面を見ると、相変わらず菅総理は手許の(大きな)メモを見ながら答弁(らしきもの)を繰り返している。官房長官時代もそうだったが、総理になった今も質問されていることに真摯に答えようとする姿勢は全く見られない。所信表明演説は原稿を読むものだろう。しかし、予算委員会では相手の言うことに耳を傾けて、自分の頭で考えた内容で説明して相手を論理的に納得させるものだろう。もしも質問を聞いた後ろの官僚が即座に書いて手渡したメモを読むことで予算委員会を乗り切ろうとしているのだとすると、あまりにも国民を馬鹿にしている。

封切時から言われていたが、『シンゴジラ』が描いていたのはゴジラという怪獣なのではなく、ゴジラ対応をめぐる政治家と官僚のドタバタ劇だった。まさに我々は今それを目の当たりにしている。しかし、どれだけの日本人がこの国会中継を見て、私と同じように感じているだろうかと想像すると、トランプ対バイデンで一触即発の雰囲気になっているアメリカ社会の方が日本よりマシなのではないか、という気がしてならない。