大学入学前に洋酒喫茶につれてくださった高校の先生

今日は成人の日。それにちなむ話。

いつ頃から始まったのだろう。はっきりとその時期を特定することはできないが、大学生が「大人」と認識されていないことに気づかされ、愕然とした。いつの頃からか、二十歳になっていない大学生はコンパ等でアルコールを飲まなくなってしまったのだ。この傾向は定着し、今では大学生であっても未成年者はお酒を飲まないのがあたりまえのことになってしまった。喫煙者の方はとっくの昔に絶滅危惧種になってしまったので、コンパ会場がタバコと酒の匂いでむせかえる、などという我々の世代にとってはお馴染みの光景は全く姿を消してしまったのだ。これは、ゼミでも、クラブでも、体育会でも同じ。

ちなみに、「春歌」はそれよりもずっと前に姿を消した。私がゼミを持ち始めた頃、コンパが佳境に入っても誰も春歌を歌わないので、お手本に数曲歌ってみたが、面白がるどころか、どこが面白いん?と言わんばかりの冷めた視線の束。私たちの世代は会計研の新歓コンパで先輩の歌う春歌に熱狂した(ちょっとおーばーか?)ものだったが、わずかひと世代の間に春歌は姿を消していたのだ。

民法の改正によって4月から成人年齢が18歳に引き下げられるが、飲酒・喫煙年齢は20歳のまま維持されるので、これから先も大学1・2回生の未成年者は法的にコンパでお酒を飲めないまま、ということになる。

しかし、我々の世代は違った。大学生はたとえ未成年でも「見なし成人」だったので、お酒を飲み、タバコを吸い、競馬や競輪に行く連中もいた。世間がそれを受け入れていたのだ。

「大学生は見なし成人」だったので、一浪して大学に進学することが確定した我々を「洋酒喫茶」(田園だったか?)につれてくださって、当時流行っていた「ジンライム」や「**フィズ」を奢ってくださったのは、我々が高校でお世話になった先生だった。未成年者でありながらお酒を飲みに行くことについて、先生も教え子もなんら後ろめたさを感じていなかった。そして、晴れて大学生になった後は木屋町界隈で酔っ払った同級生としょっちゅう出くわしたが、これもごくごく自然なことだった。我々は法律的には未成年者で飲酒はできなかったが、実質的には大学生は成人だったのだ。

で、我々にお酒を飲ませてくださった八木康敞先生は朱雀高校の日本史の先生だったが、この先生がまたまた並の先生では無かった。高校教諭でありながら、著作が4冊も刊行されているのだ。下はそのうちの2冊。

これらを含めて、次の4冊が今でもインターネットで入手可能となっている。

  『丹後ちりめん物語 「うらにし」の風土と人間 』(三省堂新書、1970年)

  『反戦とアルバイト 』(たいまつ新書 戦後の青春5、1978年)

  『大江山風土記』 (三省堂選書 1980年)

  『小笠原秀実・登 尾張本草学の系譜』 (リブロポート シリーズ民間日本学者 1988年)

ということは、単著を持たない大学教授も多い中にあって、八木先生は高校生相手に大学教授並みの教育・研究生活を送っておられたということになるだろう。さらに、当時は先生の年齢に関心はなかったため、八木先生はずいぶん年上というイメージしか残っていなかったのだが、このブログを書くついでに国立国会図書館のデータベースで調べてみると、何と1931年生まれ。我々とは18歳しか違っていない。高校で教えてくださった頃の八木先生は30代半ばだったことになる。正直、びっくりした。

洋酒喫茶でお酒を飲みながら八木先生が私におっしゃったことを今でも思い出すことができる。「百合野君、同志社に入ったら鶴見俊輔さんの講義を聴きなさい。」そして私は「はい」と答えたはずだったが・・・。

私はどこでどう間違ったのか、1969年4月の登録週間に鶴見俊輔を大島正と取り違え、大島正教授の「文学G スペイン文学」を履修してしまったのだ。だいたい、私は第2外国語でフランス語を選択していたので、スペイン文学は全くと言っていいくらい関連性のない科目だったのに、なぜか履修した。普通であれば翌年鶴見俊輔教授の講義を登録するか潜ればすむ話なのだが、鶴見俊輔教授は同志社大学が全学バリストを解除するために機動隊を導入したことに抗議して1970年に同志社大学を退職されたため、八木先生のアドバイスは実を結ばなかった。しかし、この大島正先生との出会いは、後年、私に大きな影響を及ぼんすことになる。(神の見えざる手か?)

ここまで、我々の時代は大学生が「みなし成人」の扱いを受けたという話を書いてきたが、実は、大学生が「見なし成人として扱われる」か「未成年者のまま」かは、大学生の質が決定的に異なっていることを意味している。jきっさい、「大学で学ぶ」ことは、「高校で教わる」ことの延長ではないにもかかわらず、大半の大学1回生は高校4年生に成り果ててしまっているのだ。

この大学の高校化は非常に重要な問題なので、稿を改めてもう少し書いてみたいと思っている。

ところで、このブログのカテゴリーが「ドクター・ムマモメム青春記」となっているのに気づかれただろうか。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』のもじりだということは図具にわかるが、「ドクター・ムマモメム」なる人物は誰なのか。写真だけ示して、命名の理由についてはまた改めて。