新しい年を迎えて
もう1月も5日になってしまった。昨日から「ピロリ菌をやっつけるタブレット」を飲み始めたので10日までは禁酒することにしている。晩酌をしなければ、寝るまでの間に色々なことができるのではないかと思っていたのだが、実は、まだ年賀状すら書けていない。どうやらお酒は関係がないようだ。肝要なのは「やる気」ではないかと思い、今日は新年の誓いとして今年の抱負を書こうと書斎のデスクの前に坐ったのはいいのだが、そこかしこに積み上がっている雑品の山を眺めていると、この中に今日のテーマが潜んでいるような気がして漁り始めた。(=雑品の山を作ったのは私であって、「積み上がっている」という日本語は間違いで、「積み上げた」とすべきだろうと思ったが、ま、このままにしておこう)
面白いものが出てきたので、スキャンして下に示す。
小学1年生の3学期に書いた作文のようだが、2年生になるのが楽しみだと締めくくっている、その理由が「またあたらしいことやかんじがわかる」ことだと書いているところに私の幼い「知的好奇心の旺盛さ」が感じられて微笑ましい。
一昨年の3月まで、私は大学教授としての人生を送ってきたのだが、この作文に「たのしかった」と書いているように、「えんそくやがくげいかいやうんどうかい」と並んで、私にとっては「勉強すること」も楽しかったのだろうと思う。昨今は受験のために勉強する若い人が多いようだが、私たちの時代はそれだけではなかった。受験勉強自体も、今から思えばなかなか楽しいものだった。そうでなかったら、ひたすら専門書を読み、考え、議論し、論文を書き、学会で発表し、異国で暮らし、またひたすら専門書を読み、考え、議論し、論文を書き、学会で発表し、専門書にまとめる、などということを半世紀近く続けることはできなかっただろう。
クリスマスにブログで胃カメラについて書いた際に「モニターに映し出された胃も十二指腸もツルッツル。1972年秋に死にかけた十二指腸潰瘍穿孔の古傷もない」と書いたが、激しい腹痛で立っていられないほど憔悴していた大学4回生の私に、主治医は「十二指腸潰瘍穿孔は公認会計士の受験ストレスによるものだから、1年間は受験勉強をせず、お酒も飲まず、ひたすらこの薬を続けなさい」とおっしゃった。私は忠実にこの主治医の言葉に従い、体調は回復して十二指腸潰瘍が再発することなく今日に至っている。
受験勉強の1年間のブランクを大きく、結局、私は公認会計士にならずに大学教授になる道を進んだが、思い返せば、この公認会計士の受験勉強ですら苦痛ではなかったのではないかと思う。その証拠に「十二指腸潰瘍穿孔の古傷」はなかったではないか。勉強することは楽しいことなのだ。
今年のブログでは勉強が楽しいものだということについて書こうと思っている。