党首討論の怪

昨日の夕方のことである。当然のことながら期待などしていなかったのだが、たまたま時間があったので、党首討論のTV中継を観た。いや、正確に言えば、観ようとした。

ところが、居間のヨギボーの凹み具合が良かったせいか、あるいは庭からの微風が心地よかったからか、もう何年も昼寝なんぞしたことのなかった私が、不覚にも熟睡してしまった。目が覚めたのは、ちょうど散会するところだった。どうせ「討論」にはならなかっただろうから夜のニュースで確認したらいいやと、2年ぶりの党首討論を生で見なかったことを後悔することもなく、庭に出てゴーヤと満願寺ししとうの水やりをしたのだった。

夜のニュースが報じた党首討論の内容は、案の定「内容のないもの」だった。だいたい、枝野氏は30分もらっていたものの、他は5分。辞書によれば、討論とは「互いに議論を戦わせること。​意見を出して論じ合うこと。可否得失を詳しく論じ合うこと。」の由。たった5分で討論ができるのか?

しかも、菅義偉は枝野氏との30分のうち7分を使って1964年東京オリンピックの思い出を語ったらしい。驚くべき知性と感性の持ち主である。下村博文政調会長は菅義偉をヨイショしていたが、そもそも下村博文に知性と感性があるかはハナから疑わしい。自分がさも真っ当なことを言っているという表情も絵に描いたようなインチキくささ。

そんなニュースを見て「しめしめ、小一時間ぐっすり睡眠をとったのは正解だったわい」と満足しつつ気持ちよくベッドに入った。しかし3時半に目が覚めた。その後も浅い睡眠を自覚しつつ一夜を過ごして目を覚ましたら、Somnusの睡眠スコアはなんと78点。深い睡眠は51%、覚醒が6%と、apple watchを腕につけて寝るようになって初めての惨憺たる状況だった。

どうしてなのか、考えてみた。

答えは実に簡単。私は、イギリスで3年近く生活し、彼の国の議会での丁々発止のまさに「毎日が党首討論」を楽しんだ経験を持っている。その経験が、日本の政治の現状を黙って見過ごすことを許さないのである。あと10日で72歳になるというのに、いつまで書生っぽいんだと自分でも情けなくなるが、実際、日本の政治システムの茶番劇に腹が立ってしようがないのだ。

腹が立って目が覚めたのか?

日本にも二大政党政治が始まることになったとき、私は、イギリスやアメリカのような熟議の国になるかもしれないと大いに期待したものだったが、その期待はすぐに失望に変わってしまった。落ち着いて考えてみると簡単な話、二大政党制はイギリスとアメリカくらいで、他のヨーロッパの国々も連立内閣によって政治が行われているではないか。

小選挙区の立候補者を決める権限と官僚の人事権を官邸が握るだけで、議会制民主主義国のふりをしたロシアや中国も顔負けの専制君主国が完成することになる。TVドラマ『トップリーグ』や映画『新聞記者』が描くマスコミの堕落がそれに加われば、これはもう冷戦末期の東欧の怪しい国のよう。

わかった。これらのことが気持ち悪くて、うなされて、よく眠れなかったのだ。