余一会 落語の楽しみ
ずっと落語が好きである。コロナ以前は、東京に出張すると必ずと言っていいほど新宿末廣亭や浅草演芸場に足を運んだ。最近は上野の鈴本演芸場を覗くことが多くなっていたが、このブログの「余一会」は寄席の31日の特別プログラムに名前を借りている。東京の寄席は頻繁に通うものの、実は上方落語の定席の天満繁昌亭には行ったことがない。
ところが、実は、中学生の頃から上方落語に熱中していたのだ、特に桂米朝が好きだった。ひと頃は弟子入りも考えたが、生真面目な税務署員の息子だったので、米朝に弟子入りしたいと言い出す勇気は持っていなかった。京都には吉本の演芸場はあったものの落語の定席はなかったので、道頓堀の角座に連れて行ってもらい、松鶴、桂春団治、小文枝といった当時油が乗りつつあった落語家を聞いたものだった。その頃は四天王と呼んでいなかったのではないかと思うが、振り返ると豪華な大看板ばかりである。しかし、角座で好きな米朝の落語を聞いたことはなかった。
京都には市民寄席があり、ここでは米朝の落語を聞くことができた。もちろん、松鶴、桂春団治、小文枝も聞くことができたし、小春団治時代の露乃五郎の幅広い芸風を楽しんだものだった。そのように落語を聞く以外に、実は、中学生から高校生にかけては、KBSラジオの「ゴールデンリクエスト」とラジオ大阪の「題名のない番組」での桂米朝と小松左京のトークにものめり込んだ。
これは罪な番組で、二人のインテリの多岐にわたる話題を楽しむだけでなく、リスナーの投稿する古典のパロディの紹介とそれをめぐって二人は丁々発止のやりとりをした。これは、ちょっと生意気な中高生にとって、難しいものの背伸びをすれば番組で紹介してもらえるパロディ作りにも手が届くという今のSNSに似た楽しみを味わうことができたのだ。
四天王に続く小米(枝雀)、朝丸(ざこば)、春蝶といった落語家の話を楽しみつつも、東京の落語を聞く機会の方が増えて行ったのは、実は、振り返ると、角座に連れてもらっていた頃のTVでは、東京の落語家が派手に活躍していたのだ。中でも「お笑いタッグマッチ」は春風亭柳昇の司会で、ちょうど今の「笑点」のような掛け合いを楽しむことのできる番組だった。レギュラーは、三笑亭夢楽、桂伸治、三遊亭小圓馬、金原亭馬の助、柳家小せん、春風亭柳好、と言っても今これを読んでいる人の何人が顔を思い浮かべることができるだろう。
ウイキによれば、このTV番組が放映されていたのは1959年から67年の平日の12時15分〜45分だった由。私は小学生から高校生の時代で、学校に行っていたはずなのに、どうしてこの番組を見た記憶があるのか、その辺りの記憶を辿りつつ、余一会でしばらく落語について書こうと思う。