アカウンタビリティの重要性 比較のために(アカンタレ助教授の初海外珍道中紀行2)
前回の書き込みに対して、ハマダくんが「今回のブログは ”アカウンタビリティー” やのうて ”アカンタレ助教授” の初海外珍道中紀行の序章かいな ??」とFacebookで突っ込んでくれた。図星だったので、座布団を3枚謹呈するとともにタイトルも変更することにした。1983年の留学は期間が短かったうえに、何しろ初めての海外生活だったので、イギリス社会のことがよくわからないまま「行って、住んで、帰ってきた」感じ。1990−92年の留学と比較するために、その辺りをちょっと書いておきたかったというわけ。
今回で「比較のために」が終わるかどうか定かではないので、とりあえず大韓航空の件について結末を書いておこう。後期の授業に間に合うように帰国しなければならなかったので、我々は8月27日13時20分にパリを飛び立ってアンカレッジを経由し金浦空港でトランジットの3時間半(!)を過ごして28日の20時に伊丹に着く便を予約した。飛行機は無事に飛んで洛西ニュータウンのマンションにも無事に帰り着いた。友人知人に「ソウル〜パリ便やから香水の強い匂いには参ったけれど、大韓航空はちゃんと飛んでくれた」と報告して3日目、9月1日の早朝に「大韓航空機が落ちた」という電話で叩き起こされた。実は、我々の乗ったパリ発アンカレッジ経由ソウル行きの次の便が、この撃墜されたニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの「007便」だった。我々の飛行機の乗務員はアンカレッジで交代したので、ひょっとしたら彼らはこの事件で亡くなったのかもしれない。まさに紙一重の出来事だったので、しばらくは震えが止まらなかった。
話をパリを飛び立った時点に戻すと、black teaをおかわりする間もなく英国航空機はヒースローに着陸。緊張の入国審査も無事に終え、日本で予約しておいたグリーンホテルにチェックイン。大韓航空の機内食に焼肉のメニューがなかったので、オックスフォードサーカス近辺にあったアリランという韓国レストランへ。ウエートレスが韓国人ではなく東南アジア系、でも料理は美味しくて大満足。ホテルに戻ってTVを見ていたら突然鳴り出した電話のベル。知り合いもいないのにと顔を見合わせつつ「ハロー」と言っても応答なし。受話器を置いてしばらくすると、また鳴り出した。これも無言。「ははぁ、これは静かにせよ!という意味だろう」と推測し、TVの音量を下げ、小さな声で「やっぱりイギリスは手強いぞ」と家内と話した初日の夜だった。
翌4月1日、当時商学部の同僚だった早稲田から来た英語教師のニシヤマくんに紹介してもらった不動産屋に電話をかけたら「今日からイースターの休暇に入るから来週火曜日に来て欲しい」とのつれない返事。高いホテル暮らしは続けられないので慌てて『地球の歩き方』を片手に電話でB&Bを探して移動してロンドンでの「生活」がスタートした。
半年ほどのこの留学では「黄昏ではなく曇天の」イギリス社会を知ることはできなかった。しかし、7年後に再訪したイギリスが劇的に変化したことを知る「比較の原点」を見た。さらに、「偶然」で片付けることのできない「神の見えざる手」が確実に存在していることを後年思い知ることになるいくつかの出来事にも遭遇したのだった。私にとって非常に重要な留学生活がスタートした。