博多・天神落語まつり 其の4
今回の落語三昧もいよいよ最終日。私が選んだのは「安定の東西会」と題されたお昼の部。「其の1」で、菊丸の「貢ぐ女」に私はいちゃもんをつけた。染二が師匠ならもっとしっとりとした話にならないといけない、と思ったのだ。江戸落語に対する上方落語は、見台と小拍子を使うだけでなく、随所にはめものの入るところが情緒豊かにしてくれる。貢ぐ女にはめものは入らないだろうけれども、入っているような感じで情緒豊かにしてくれないと身もふたもない、と思ったのだ。
今日の桂佐ん吉の「七度狐」ははめものの入った上方落語の典型だった。私が落語にのめり込んだのは桂米朝の落語を聞いたからだった。主として京都市民寄席で「東の旅」や「算段の平兵衛」「風の神送り」などを聞いて、上方落語の面白さに目覚めたのだ。ひと頃、市民寄席のチケットを手に入れるのは並大抵ではなかった。四条の大丸のプレイガイドで売り出されるチケットを手に入れるために、開店前から並んだことを思い出す。ネットで手に入れることのできる昨今の状況は夢のよう。
で、久しぶりに聞いた「七度狐」は上出来だった。が、受けはもう一つだった。会場の部分部分で笑いが分散した。多分、はめものの入った上方落語に馴染めなかったのではないかと思うが、私にとっては、桂米朝の話を聞いているようでもあり、(直接の師匠ではないけれども)枝雀の話ぶりのようでもあり、いやぁすっかり忘れていた米朝ワールドを思い出すことのできる素晴らしい高座だった。佐ん吉の後ろに小文枝と春團治が見えたような気がした。
春風亭昇太は、話のうまい落語家だなぁと改めて思った。落語がうまいかどうかは別として、落語が話芸をだとしたら、実に面白かった。
桂ざこばの「鉄砲勇助」は飽きるほど聞いたが、今日のはちょっと物足りなかった。だいたい「どうぶついじめ」がその典型なのだが、ざこばの話はほら話ばかりなのに、わざわざ「鉄砲勇助」をするのなら、前半はもうちょっと余裕のある話をするべきではなかったのか、と思った。もう一度ざこばが真顔でする嘘ばっかりの話を聞きたいものだ。
三遊亭笑遊はその昔寄席で見た雰囲気そのままだった。色っぽい目線も、落語はそこそこに百面相を見せる成り行きも、昔の雰囲気そのものだった。一方、トリの三遊亭小遊三はテレビ「笑点」大喜利の見た目とは全く違う正統派落語家の印象を受けた。見た目より老けてるんや、思っている以上に修行を重ねているんや、落語は案外うまいんや、と思いつつ、4日間過ごしたワンダーランドから現実の社会に引き戻される時が来た。
と書いたここまでは、「予定稿」。
今日は(昨日までも)いろいろあった。中でも、立憲民主党の新代表に泉健太氏が選出されたことに注目したい。立民についてNHKが新橋でインタビューした中に「自民党批判ばかりで、具体的な政策の提案がなかった」といういつもの「印象」があった。「悪夢のような民主党政権」を繰り返した安倍晋三と轍を一にした批判なのだが、公的記録を隠蔽・改竄・破棄することは「とんでもないこと」であって、これを許しては政策の善し悪しを判断することは不可能。また、選挙違反は当選議員の地位そのものに疑問符がつくわけで、絶対に認めることはできない。その典型が「総理との花見の会」であり、それに応分の負担をせずに招かれることがあったとしたら、それはもう買収以外の何者でもない。さらに「不透明な政治資金」が国会議員の「うまみ」そのものだとしたら、選挙制度を悪用して私服を肥やし自己満足感を高める元凶そのもの。それらを批判することは自由・民主主義を守る第一歩だろう。ただ、論点をはっきりさせることは重要。国会で「熟議」が行われることを期待したい。
もう一つは、オミクロン株が空港検疫で見つかったというニュース。「水際で防いだ官」という房長官の話を信じることはできるのだろうか・・・。